「お父さん！」兄は静に頭を擡げた

「お父さん！」兄は静に頭を擡げた。平素は、黙々として反抗を示す丈の兄だつたが、今日は徹底的に云つて見ようといふ決心が、その口の辺に動いてゐた。「貴方が、幾何仰しやつても、僕は政治などには、興味が向かないのです。殊に現在のやうな議会政治には、何の興味も持つてゐないのです。僕は、お父さんの仰しやるやうに、法科を出て政治家になるなどと云ふことには、何の興味もないのです。」兄の言葉は、針のやうに鋭く澄んで来た。 「もう少し待つて下さい。もう少し、気長に私のすることを見て居て下さい。その中に、画を描くことが、人間としてどんなに立派な仕事であるか、堂々たる男子の事業として恥かしくないかを、お父さんにも、お目にかけ得る時が来るだらうと思ふのです。」 「あゝよして呉れ！」父は排ひ退けるやうに云つた。「そんな事は聞きたくない。馬鹿な！　画描きなどが、画を描くことなどが、……」父は苦々しげに言葉を切つた。 「お父さんには、幾何云つても解らないのだ。」兄も投げ捨てるやうに云つた。 「解つてたまるものか。」父の手がまたかすかに顫へた。 　二人が、敵同士のやうに黙つて相対峙して居る裡に、二三分過ぎた。 「光一！」父は改まつたやうに呼びかけた。 「何です！」兄も、それに応ずるやうに答へた。 「お前は、今年の正月俺が云つた言葉を、まさか忘れはしまいな。」 「覚えてゐます。」北区　家庭教師